わたしは誰かのどうでもいい人

さっきからあなたの目の前で おとなしく座っているだけの僕

わたしと鼻歌を歌おう

「なにを考えているんだろう?」と思う人は、大体「なんにも考えていない」んだよ、って電話越しに、友達が教えてくれた。

 

最近知り合った人と、旅行に行った。

職場で出会って、見た目がすごく綺麗で、隙のない完璧な学歴を持っていて、芯が強そうで、素敵だ、話をしてみたい、と思った。

関わっていくうちに、「この人とわたしは真逆だ」と思うことが多々あった。話をして、気が合うから、楽しいから、一緒に過ごすようになるという過程を踏んでいないのだから、当然だ。旅行に行く日が近づくにつれて、なんとなく接触を避けるようになって、前日は緊張して、一睡も出来ずに家を出た。

 

1日目に、お店で昼食を摂っていたら、突然、パニック発作が襲ってきた。数ヶ月起きていなかったから焦った。相手の方が完璧な工程を組んでくださっていたから、いや、それ以前に不調を言い出せる関係性を構築できていなかったから、「すみません、ちょっと体調が」と言い出すことは出来なくて、冷や汗や動悸や吐き気を堪えながら、お店を出た。

外出するたびに発作を起こしていたのにも関わらず、明確な解決策を見い出せなかった昨年夏の自分を呪った。

 

 

お店の近くに森があった。森。緑。天気は曇っていたけれど、澄んだ空気が心地よかった。

ふと、呼吸に意識を向けて、何度か深呼吸を繰り返してみた。なにも考えずに、ただ、呼吸と歩くことだけに集中した。吐いて、吸って、吐いて、歩いている、右、左、右、しばらくそうして歩いていると、森を抜ける頃には、いつの間にか発作が治まっていた。これまで、発作が起きたらその場に蹲って、じっとしていることしかできなかったから、かなり驚いて、なぜだか涙が出そうになった。外で発作が起きて、人に迷惑をかけずに自分でなんとか治めることができたことが、堪らなく嬉しかった。

 

 

旅行中、わたしはあまり話をしなかった。いつもは、一緒に行動している人との思い出を作ることが旅行の第一目的で、景色や経験は第二、第三の目的のような気がしていたけど、今回はずっと、その場所で出てきた料理、景色、そこで見るものについてだけ、集中していた。そして、それがとても心地よかった。

帰宅後、同じ部署の人にお土産を配りながらその方と旅行に行ったことを話すと、「仲が良いんだね」「気が合うんだね」と言われた。そうなんです、とても良くしていただいていて、とニコニコしながら、その人とわたしの気が合うわけじゃない、でも、ものすごく楽しかった、と胸の内で呟いた。分かりやすく表現するならば、わたしは根っからの文系で、相手の方は根っからの理系で、なんというか、コミュニケーションの取り方が根本的に違っていて、お互いに話をして「似てるね」「すごく価値観が近い」と感じ合うことは難しいのだと思う。でも、わたしは、ずっと自分の好き嫌いや、持病のことや、人との付き合い方を模索していた今このタイミングでその場所に(国内でも名高いパワースポットや自然にたくさん行った)、物凄く気が合うわけではないけれど居心地が悪いわけでもない人と一緒に行けたことが、とても意義がある気がした。出会った頃から、「病んだことない」「落ち込まないんだよね」と繰り返し言うその人は、いつも鼻歌を歌っていた。「落ち込みそうになったら鼻歌歌うと良いよ」って言われて、試してみたら、なるほど、鼻歌を歌いながら落ち込むことは難しかった。価値観が近かったり、考え方に共感ができるから親しくなるのではなくて、自分にはない価値観を持ち、新しい考え方を教えてくれる人もまた、貴重な存在であると思った。

 

 

帰り道に、車の中で、窓の外を見ていたら、その人がふと振り向いて、「あれ、○○ちゃん今、鼻歌、歌ってる」と言った。