わたしは誰かのどうでもいい人

さっきからあなたの目の前で おとなしく座っているだけの僕

わたしと調子の悪い日

一昨日くらいからうっすら調子が悪かった(大体言葉に縋りたくて本屋に何時間もいるなんて調子が悪いに決まっている)けど、今日は物凄く調子が悪い。

 

気を抜いたら命を落っことしそうである。

朝起きた瞬間、ああ今日調子悪いわと思いながら、気合を入れて職場に行ってみたものの、もう全然駄目で、午後からお休みを貰った。

 

休みの貰い方だけ、本当に上手くなった。

「午後からお休みを頂けますか?ありがとうございます」とサラッと言えるようになった。

 

同じくメンタルの調子が年中悪い上司が、遅れてきた。出勤するなり、誰も聞いていないのに、母が私に気が付かずにぶつかって、手に持っていた花瓶が落ちて、怪我して、血が止まらなくて、とか大きな声で捲し立てていて、絶対嘘じゃんと思っていたたまれず、顔も見られなかった。言いたくない不調は、言わなくていいと思う。特に、取り繕う必要がある不調は。

 

 

昨日の夜、鞄から洗い忘れたお弁当箱を見つけてしまって、それでもともと不安定だった調子が完全に崩れたのを実感した。

 

 

泣いてすっきりするタイプじゃない。でもたまに、堰を切ったように涙が止まらない日がある。

調節が下手。

相変わらず、1人で静かに混乱し、大丈夫になったり全然だめになったりを繰り返してるのに、大丈夫になる手段を諦めきれずにいる。

 

 

 

よくない天気が続いているのに、小さく咲いている桜を見つけた。

春だ。

わたしの最近の嬉しさ など

①歳をとることが怖くなくなってきた

 

②憧れのロールモデルを見つけた

 

③憧れのロールモデルに「貴方のことめっちゃ好き、めっちゃ大好き」と言われた

 

④彼女のお兄さんにさらりと「俺の結婚式には絶対来ないと駄目、妹なんだから」と言って貰えた

 

⑤知らない人と不快でない握手をした

 

⑥知らない町の本屋さんで4冊本を買えた

 

⑦4冊のうちの1冊、長濱ねるちゃんのエッセイがインターネット越しの友達(そこの貴方かもしれない)の文章および思考に物凄く似ており、いつか会えた日にはプレゼントしようと決めた

 

 

⑧わたし(腎臓が悪い)が「君の膵臓をたべたい」と言うと、彼女が「君に腎臓をあげたい」と言ってくれた

わたしは未熟

母に本当の気持ちをぶつけた20歳のあの日から、母は、いつもわたしに優しくする。

 

会うと、お土産をくれる。

 

お仕事はどう?元気でやっているの?

 

それらの質問を黙って流したり、「うん」「大丈夫」とだけ返すわたしを、けして笑わないわたしを、寂しそうに、でも、絶対に怒らない。

忙しいのに、時間を取ってくれてありがとうね。ありがとうありがとうと言う、何回も言う。

 

 

こんなにこんなに、失ったものを取り返すように親切にしてくれているのに、それを無下にするような態度をとってしまっている自分の未熟さを、嫌悪している。ものすごく。でも、同じくらい、どうすればいいか分からないから仕方ないじゃないか、と思うし、いやいや甘ったれるな、とも思う。

 

 

暴力や暴言で支配されていたのは過去のことなんだけど、わたしが持病の発作を宥めながら生活しているのは現在で、母が親切にしてくれているのも現在で、ひとりで混乱している。

 

 

母の前で、笑えなくなってしまった。感情を乱されたくない、わたしもこの人の感情を乱したくないと思って、初めは怒ったり、泣いたり、負の感情を出さないようにしようと思っていただけのはずなのに、過去に負の感情だけを交換していた相手に負の感情のみを感じないようにするってかなり難しくて、冗談を言って笑ったり、優しい言葉をかけたりすることもできなくなってしまった。

苦しかった時期には、母と大笑いする瞬間もあったし、愚痴を何時間も聞いたり、聞いてもらったりもした。距離が近すぎた故に境界線が曖昧になってしまったのかもしれない。愛と憎の境目は、ティッシュ1枚分の薄さ。

 

 

 

わたしがうまく立ち回れずに、やんわりと突き放すような態度をとっていることが、母を苦しめているのではと思うと、胸がぎゅっと痛くなる。実家での暴力や暴言をきっかけにぐらりと歪んだ自分をなんとか立て直して生きているような場合、わたしのような立ち回りは自然なことなのか?それとも、親切にされている現在にきちんと目を向けて、ありがとう!嬉しい!とにっこり笑うべきなのか?

やっぱり、混乱している。

 

 

 

本当は、優しくしてくれる現在の母と笑い合いたいけれど、連絡が来る度に身体が勝手に苦しくなってしまって、会うのにも相当緊張していて、どうしたらいいか分からない。

自分を大切に、なんていうけど、わたしからはわたしだけが見えなくて、目に見える相手を悲しませないこと、笑顔にすることの方が、よっぽど容易く大切なことのように思えてしまう。

わたしの苦しみは気の所為

今日はどうも調子が悪くて、いつもはみぞおち辺りで不定期に湧き出す黒さが、全身を巡って、喉から溢れそうだった。

大丈夫じゃないな、帰りたいなと思うけど、同じくらい、でも、帰って、どうするんだよ~と思ったから、1時間、2時間、じりじり時計が動くのを待って、終業まで耐えた。

こうして、人は、信頼を、勝ち取っていく。

素敵な大人に、また1歩近づきましたね。

万歳。

 

 

 

 

 

 

 

近い人から、たぶん、実家のこと相談したら、距離置きなよ、縁切りなよってみんな言うと思うし自分もそう思う、でも、それって渦中の人間じゃないから言えることだよねと言われた。

 

わたしが拒絶に一生懸命にならない理由は、逃げるほど追いかけて来るタイプだから、あとは、拒絶し続けることで、ズタズタな過去があるという事実をずっと背負わなければならないことがしんどいから。みんなにこにこして、本当はずっと家族仲良くて、苦しかった記憶は全部わたしの夢ということにならないかな、全部無かったことにならないかな~って思ってる。

 

 

 

 

全部無かったこと。

実の母親に「本気でしんでほしいけど、あたしの人生無駄にする価値はないからそこから早く飛び降りてお願い」とか、言われたこと、ないです。全然。

 

 

 

 

 

お前よりこっちの手と心の方が痛いんだからな。

そうなんだ。

 

 

 

 

 

 

大切にしてた本を何冊も何冊も破られたことも、食事中に箸が飛んできたことも、お年玉を貯めて初めて買ったヘッドホンの線を目の前でちぎられたことも、足に包丁刺されたことも、全然、ないです。

全然。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫、もう夜中に大声で叩き起されたりしないから

安心して眠って

おやすみ

わたしは涙で目を覚ます

夢の中で大泣きして、実際に涙を流して、はっと目を覚ます、みたいなことを直近で2回、してる。

睡眠は現実からの逃避で救いなのに、夢で気持ちを乱されるほど最悪なことってない。

 

 

 

1回目は、妹が学生にして妊娠したという設定で、周りの大人が全力て祝福していて、母から、「女と付き合うなんて勿体無い」「時間の無駄」「結局、あなたはきちんと、男の人を好きになれるじゃない?」「結婚して子供を産むことが女の幸せ」ということを、語尾を被せて、口を挟もうとすると「違う!違う!違う!」というあの話し方で、詰められている夢。

なお、出てきた言葉は全て、実際に母から言われたことがあるもの。

最悪。気にしてない、覚えてないって思いながら、自分がずっと忘れられずに傷ついていることを知ってしまった。

 

 

 

 

さっきまで見ていた2回目の夢では、母と距離をとったら取り乱し、「○○(わたし)に傷つけられた」「もうママは生きてる価値ないんだね」と言って、ベランダの柵を乗り越えようとするのを、「待って待って、わたしが傷つけられてきたと思ったのに、わたしが傷つけてたんだ、気づかなかった、ごめんなさい」と思いながら、必死で抑えていた。

 

 

 

 

 

 

考え得る限り最悪の目覚め。

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫じゃない夢を見た日は、なるべく大丈夫な一日を過ごしたいね

 

 

 

 

 

わたしと鼻歌を歌おう

「なにを考えているんだろう?」と思う人は、大体「なんにも考えていない」んだよ、って電話越しに、友達が教えてくれた。

 

最近知り合った人と、旅行に行った。

職場で出会って、見た目がすごく綺麗で、隙のない完璧な学歴を持っていて、芯が強そうで、素敵だ、話をしてみたい、と思った。

関わっていくうちに、「この人とわたしは真逆だ」と思うことが多々あった。話をして、気が合うから、楽しいから、一緒に過ごすようになるという過程を踏んでいないのだから、当然だ。旅行に行く日が近づくにつれて、なんとなく接触を避けるようになって、前日は緊張して、一睡も出来ずに家を出た。

 

1日目に、お店で昼食を摂っていたら、突然、パニック発作が襲ってきた。数ヶ月起きていなかったから焦った。相手の方が完璧な工程を組んでくださっていたから、いや、それ以前に不調を言い出せる関係性を構築できていなかったから、「すみません、ちょっと体調が」と言い出すことは出来なくて、冷や汗や動悸や吐き気を堪えながら、お店を出た。

外出するたびに発作を起こしていたのにも関わらず、明確な解決策を見い出せなかった昨年夏の自分を呪った。

 

 

お店の近くに森があった。森。緑。天気は曇っていたけれど、澄んだ空気が心地よかった。

ふと、呼吸に意識を向けて、何度か深呼吸を繰り返してみた。なにも考えずに、ただ、呼吸と歩くことだけに集中した。吐いて、吸って、吐いて、歩いている、右、左、右、しばらくそうして歩いていると、森を抜ける頃には、いつの間にか発作が治まっていた。これまで、発作が起きたらその場に蹲って、じっとしていることしかできなかったから、かなり驚いて、なぜだか涙が出そうになった。外で発作が起きて、人に迷惑をかけずに自分でなんとか治めることができたことが、堪らなく嬉しかった。

 

 

旅行中、わたしはあまり話をしなかった。いつもは、一緒に行動している人との思い出を作ることが旅行の第一目的で、景色や経験は第二、第三の目的のような気がしていたけど、今回はずっと、その場所で出てきた料理、景色、そこで見るものについてだけ、集中していた。そして、それがとても心地よかった。

帰宅後、同じ部署の人にお土産を配りながらその方と旅行に行ったことを話すと、「仲が良いんだね」「気が合うんだね」と言われた。そうなんです、とても良くしていただいていて、とニコニコしながら、その人とわたしの気が合うわけじゃない、でも、ものすごく楽しかった、と胸の内で呟いた。分かりやすく表現するならば、わたしは根っからの文系で、相手の方は根っからの理系で、なんというか、コミュニケーションの取り方が根本的に違っていて、お互いに話をして「似てるね」「すごく価値観が近い」と感じ合うことは難しいのだと思う。でも、わたしは、ずっと自分の好き嫌いや、持病のことや、人との付き合い方を模索していた今このタイミングでその場所に(国内でも名高いパワースポットや自然にたくさん行った)、物凄く気が合うわけではないけれど居心地が悪いわけでもない人と一緒に行けたことが、とても意義がある気がした。出会った頃から、「病んだことない」「落ち込まないんだよね」と繰り返し言うその人は、いつも鼻歌を歌っていた。「落ち込みそうになったら鼻歌歌うと良いよ」って言われて、試してみたら、なるほど、鼻歌を歌いながら落ち込むことは難しかった。価値観が近かったり、考え方に共感ができるから親しくなるのではなくて、自分にはない価値観を持ち、新しい考え方を教えてくれる人もまた、貴重な存在であると思った。

 

 

帰り道に、車の中で、窓の外を見ていたら、その人がふと振り向いて、「あれ、○○ちゃん今、鼻歌、歌ってる」と言った。

わたしの世界は優しい人でできている

世界は優しい人でできているって、大好きだった人が本に書いてた。

 

わたしは誰を助けられるとも、誰に助けてもらいたいとも思っていないです。傷を癒してあげないと、みたいな気持ちも、わたしの傷を癒してよ、みたいな気持ちも、全然無いです。恋人、友達、私的な関わりを持っている全員のことを心から大好きだから、初めからちゃんと、自分の行動や言動で傷つけないように気をつけているし、一緒にいる時間、痛みを忘れさせてくれる人を自然と選んでいる。

それ以外の、全然信用ならないのに土足で私有地に踏み込んでくる人達には、絶対許さない、って思ってる。あと、わたしの昼休みかつそちらの仕事中に限って仕事を振ってくるおじさんにも。黙ってる。黙ってるけど、多少態度には出てる。内線を終えるとき、受話器を気持ち放り投げて置いてしまった。耳元でがっしゃん!って言ったでしょうね。失礼しました。昼休みなので、手が滑りました。

 

 

 

自身の性衝動についてぺらぺら話す人、もう本当に、本当に、本当に…

大丈夫、そのひと言ふた言で、わたしは勝手に付き合いを辞めるので 嫌いな人や物に変化を望むのは不毛なこと そのままずっとご自身の品のなさを、愛せたらいいですね

 

 

ネットを開いたらずっと男の人と女の人が喧嘩してる 男の人は女の人だけを、女の人は男の人だけを好きだという人が大多数なのって、本当か?と言いたくなる 

 

 

なんか久しぶりに、連絡先を一新したい衝動

電話もメールも最悪だ、なんにも伝わらない

わたしたちは、目で会話するのかもしれない

 

 

 

熱が下がったり上がったりする アイスもう2本も食べた パリパリしたチョコレートのやつ