わたしは誰かのどうでもいい人

さっきからあなたの目の前で おとなしく座っているだけの僕

わたしは未熟

母に本当の気持ちをぶつけた20歳のあの日から、母は、いつもわたしに優しくする。

 

会うと、お土産をくれる。

 

お仕事はどう?元気でやっているの?

 

それらの質問を黙って流したり、「うん」「大丈夫」とだけ返すわたしを、けして笑わないわたしを、寂しそうに、でも、絶対に怒らない。

忙しいのに、時間を取ってくれてありがとうね。ありがとうありがとうと言う、何回も言う。

 

 

こんなにこんなに、失ったものを取り返すように親切にしてくれているのに、それを無下にするような態度をとってしまっている自分の未熟さを、嫌悪している。ものすごく。でも、同じくらい、どうすればいいか分からないから仕方ないじゃないか、と思うし、いやいや甘ったれるな、とも思う。

 

 

暴力や暴言で支配されていたのは過去のことなんだけど、わたしが持病の発作を宥めながら生活しているのは現在で、母が親切にしてくれているのも現在で、ひとりで混乱している。

 

 

母の前で、笑えなくなってしまった。感情を乱されたくない、わたしもこの人の感情を乱したくないと思って、初めは怒ったり、泣いたり、負の感情を出さないようにしようと思っていただけのはずなのに、過去に負の感情だけを交換していた相手に負の感情のみを感じないようにするってかなり難しくて、冗談を言って笑ったり、優しい言葉をかけたりすることもできなくなってしまった。

苦しかった時期には、母と大笑いする瞬間もあったし、愚痴を何時間も聞いたり、聞いてもらったりもした。距離が近すぎた故に境界線が曖昧になってしまったのかもしれない。愛と憎の境目は、ティッシュ1枚分の薄さ。

 

 

 

わたしがうまく立ち回れずに、やんわりと突き放すような態度をとっていることが、母を苦しめているのではと思うと、胸がぎゅっと痛くなる。実家での暴力や暴言をきっかけにぐらりと歪んだ自分をなんとか立て直して生きているような場合、わたしのような立ち回りは自然なことなのか?それとも、親切にされている現在にきちんと目を向けて、ありがとう!嬉しい!とにっこり笑うべきなのか?

やっぱり、混乱している。

 

 

 

本当は、優しくしてくれる現在の母と笑い合いたいけれど、連絡が来る度に身体が勝手に苦しくなってしまって、会うのにも相当緊張していて、どうしたらいいか分からない。

自分を大切に、なんていうけど、わたしからはわたしだけが見えなくて、目に見える相手を悲しませないこと、笑顔にすることの方が、よっぽど容易く大切なことのように思えてしまう。